上野恩賜公園(通称、上野公園)にある西郷隆盛像は、明治23(1890)年に建立の話が起こり、募金により明治31(1898)年に除幕式が行われた。今から125年も前に作られた像である。
この像の制作を指揮したのは、高村光雲である。光雲は、仏像制作の工房に弟子入りして木造彫刻を学ぶが、西洋美術の写実主義を取り入れ、それまでの日本の木彫の技術を近代化に大きな役割を果たす。有名な作品に「老猿」がある。これは重要文化財に指定されており、鷲を格闘後の猿の姿が木彫りで表現されている。
高村光雲、老猿、明治26年、東京国立博物館
西郷隆盛像を作るにあたり、隆盛本人の写真が残されていなかったため、知人や血縁者への聞き取りや、絵をもとにして作っている。顔の上半分は実弟の西郷従道、下半分は従弟の大山巌をモデルに、首から胴までは、お雇い外国人のキヨソネによる非常に写実的に描かれた肖像画をもとにしている。胴から下は隆盛が愛用したズボンを参考にしている。
除幕式で隆盛の妻いとが「アラヨウ、宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ」と呟いているが、この真意が、顔が似てないのか、像のようなみすぼらしい格好で出歩く人でなかったのか、高いところに建てられ、人に見上げられて拝まれて喜ぶ人ではなかったのかは定かではない。
いづれにしても、その姿は武士の姿を伺える貴重な銅像である。
正面より:左斜め上方を見ている
斜め前より:鞘に手をかけている
手の拡大:鞘には返角がある
2023/06/01 カジタ