小栗上野介忠順

 神奈川県横須賀市出身のコバヤシです。

 横浜支部の稽古に体験で参加して、横浜支部長の稽古日記にヨコスカさんと記してあったのは、3年以上前の事でした。

 

 今回は横須賀市で日本の近代化に貢献した小栗上野介忠順とその武道史をご紹介します。

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小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)

 1827年7月16日―1868年5月27日

 

 江戸駿河台(現在の東京都千代田区神田駿河台あたり)の旗本の家に生まれ、武術としては一般的には直心影流を島田虎之助や藤川整斎に師事し、免許皆伝を許されたと言われています。他の資料では「柔術・関口流」、「剣術・新當流」、「弓術・日置流道雪流」、「馬術・大坪本流」、「鎗術・無辺無極流」、「兵學・甲州流山鹿伝」、「炮術・田付流」を習得していたそうです†。

 その後、家督を相続した後は幕府の要職に就いて、外国奉行、勘定奉行、江戸町奉行等を歴任したそうです。小栗流という剣術、柔術等を含む流派を創始した小栗正信という人物は小栗忠順の祖先の弟にあたり、小栗流は土佐藩の致道館で指導されていたそうです。小栗忠順はこの流派を会得していた訳ではありません。現在、小栗流が継承されているかは分かりませんでしたが、無双神伝英信流や大石神影流の稽古をしていた先人の方々がもしかしたら小栗流も稽古をしていたと思うと無関係とは思えません。

 

小栗の稽古をしていた武道等は次の通りです。

 

直心影流:

 正式名称は鹿島神傳直心影流(かじましんでんじきしんかげりゅう)と言います。大石進も試合をした相手の男谷信友も当流でした。

 一般的に、小栗忠順の剣術は当流と言われています。

 現在も伝わっております。

 

関口流:

 柔術の関口新心流の事だと思われます。

 渋川一流柔術の基になった渋川流は、この流派から分かれました。

 現在も伝わっております。

 

新當流:

 正式名称は鹿島新當流(かしましんとうりゅう)と言います。

 塚原 卜伝(つかはら ぼくでん)が開いた流派です。

 現在も伝わっております。

 

日置流道雪流:

 弓術の日置流の一派です。

 日置流は現代弓道を構成している流派の一つです。

 現在も伝わっております。

 

大坪本流:

 馬術の一流派です。大坪流から分かれました。

 大坪新流という、大坪流から分かれた流派が土佐藩で創始されました。

 現在、伝わっているかは分かりませんでした。

 

無辺無極流:

 無辺無極流(むへんむきょくりゅう)は大内無辺の創始した鎗術の無辺流の分流で、田村八右衛門秋義が創始しました。現在は棒術として分かれた無辺流(正式名称は無辺要眼流棒術)が伝わっています。 

 現在、無辺無極流が伝わっているかは分かりませんでした。

 

甲州流山鹿伝:

 軍学の一流派で、山鹿流(やまがりゅう) として独立して呼称するようです。

 

田付流:

 田付流(たつけりゅう)は江戸時代に創始された 炮術の流派です。

 現在、伝わっているかは分かりませんでした。

 

上記の通り、様々な武道を習得していた様です。

 

 小栗忠順についてですが、我々現代の日本人が普通に思っていることを日本で初めて取り入れた実績のある方です。フランス人技術者のフランソワ・レオンス・ヴェルニーを日本に招聘して、また自身の海外に対する経験や情報を基にしたものです。

 

主なものに、

1.横須賀製鉄所の建設:

 後の横須賀海軍工廠(旧日本軍の造船所)、現米海軍横須賀基地の建設を立案し、徳川家茂の承認を得ました。海軍力の強化を図り海外から艦船を買い付けていましたが、自国で艦船を建造するために横須賀製鉄所を建設しました。ここで使われていたスチームハンマーは機械を作る為の機械として使われており、マザーマシンとも呼ばれます。

 

2.メートル法の導入:

 横須賀製鉄所の設計はフランス人技術者であり、設計は全てメートル法であったので、メートル法を尺貫法に換算して使用していたそうです。

 

3.株式会社の設立:

 当時、海外での取引で不利益を被っていた日本の商人が多かったため、大資本の商社を設立するべきであるとの考えから設立されました。

 

 上記のほかにも現在の日本では当たり前の様に行われている事をいくつも導入しました。

 

 この様に様々なものを作りましたが戊辰戦争が始まり、群馬県高崎市の東善寺に隠棲しておりましたが、1868年5月27日に新政府軍に捕らえられ即日処刑されてしまいました。理由については諸説ありますが、一説には小栗の能力を危険視した為とも言われております。

 大政奉還の後、明治政府が樹立し目まぐるしい変化が起こりましたが、日本の近代化については小栗の功績によるものが大きく、特に横須賀製鉄所の建設は後年再評価されるようになりました。

 明治維新は小栗上野介順忠の功績の二番煎じであるという評価をしている人もいます。

 

参考文献

† 大塚秀郎、小栗上野介忠順年譜、DiPS. A(前橋市)5、6ページ

 

Wikipediaのページ:

https://ja.wikipedia.org/wiki/小栗忠順

 

群馬県高崎市のページ:

http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121700184/

 

群馬県高崎市の東善寺のページ:

http://tozenzi.cside.com/oguri.htm

 

神奈川県横須賀市のページ:

https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2120/seitetsuzyo/main.html

2022/08/01 コバヤシ

以下、著者撮影

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小栗上野介生誕の地(東京都千代田区神田駿河台)

横須賀市 ヴェルニー公園

ヴェルニー記念館(ヴェルニー公園内)