兵法三大源流の一つの念流は南北朝から室町時代に念阿弥慈恩によって創始されたとされています。
兵法三大源流とは日本の剣術の源流ともいえる流派の総称で、新陰流の元となった陰流、神道流、念流の三流派を指します。
念流の祖、念阿弥慈恩は奥州相馬の生まれで7歳の時に相州藤沢の遊行上人に弟子入りし、10歳で廻国修行を行い鞍馬山で剣の妙技を習得。16歳の時に鎌倉の寿福寺の神僧栄祐から秘伝を授かり、18歳の時に筑紫・安楽寺での修行において剣の奥義を会得したとされています。
その後、念阿弥慈恩は還俗して相馬四郎義元と名乗り、奥州に帰郷して父の仇敵を討ち、禅門に入り、名を慈恩と改めました。こののち諸国を巡って剣術を教え、十四哲と称される坂東八人、京六人の名人を養成したとされています。
念流の系統の一つ馬庭念流は十四哲の一人の樋口太郎兼重を祖とする樋口家に継承されるのですが、樋口家十三代目の時に家伝の兵法が念流から新刀流に変わり、その後、樋口家十七代目の樋口又七郎定次によって念流七世の友松偽庵から念流正統を継承し、それ以後は馬庭念流として代々樋口家に継承され、現在は二十五世にあたる方が宗家として継承されています。
技法としては守りを主体とし、敵に勝つより負けぬ方を重視する自衛の剣で、主に地域の武術として農民町民に普及することとなります。
このような歴史を持つ馬庭念流には慶応3年(1867年)に二十世定広によって設立された道場「傚士館」があります。昭和31年に群馬県指定史跡とされる場所で、現在でも念流の稽古道場として使用されており、その歴史を垣間見ることが出来ます。
念阿弥慈恩が栄祐から秘伝を授かった寿福寺は神奈川県鎌倉市にあります。源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明菴栄西)を招いて開山したとされています。開山した栄西は茶の薬効を説いた「喫茶養生記」を記したとされ、日本に茶の文化を広めた事でも知られています。
寿福寺は鎌倉五山の第三位として現存し、今も参拝が可能となっています。北条政子や源実朝の墓とされるものや、明治時代の外務大臣の陸奥宗光、俳人の高浜虚子、作家の大佛次郎といった著名人の墓があります。
寿福寺には他にも剱術の由来があります。中条流の中条長秀は寿福寺にて壮年の慈恩と巡り合い、その際に何らかの剣の教えを受けた可能性があるとのことです。(諸説あり)
神奈川県にあり、剣の源流に関する話のある歴史のあるお寺なので、直接参拝してみるとよいかと思います。
<参考資料>
高橋 敏 スポーツ史研究 第30号(平成29年)上州の在村剣術馬庭念流と武芸のネットワーク
日本の歴史「庶民の剣」と呼ばれた馬庭念流。手作り防具の伝統稽古」
戸谷八商店 『念流(通称馬庭念流)』と山名八幡宮の「太刀割石(たちわりいし)」
岡田一男 武道学研究19-(3),1-7,1987 戸田流道統継承の研究
2022/12/01 オオイシ