立会川

月曜。

3年に一度の検査で、東京の生家近くの病院へ。

生まれた病院です。

 

午前中は仕事をして、午後半。

東横線に乗って、自由が丘駅で乗り換え。

線路が斜めにクロスしていて、階段を間違えると反対方面に下りてしまいます。

そして反対に行くには、また階段を上がって、ホームを移動して、別の階段を下りなければなりません。

毎日使っていても、寝ぼけていると間違えたりします。

終電間際だと、ちょうあせったりします。

昔、通学に利用していました。

もう30年も前になるのですね。懐かしい。。。

最近は東横線は使わなかったので、自由が丘では乗り換えはせず、ただ通過するだけでした。

 

大井町線に乗り換え。

坂の多い横浜と違い、関東平野は真っ平ら。

地平線までよく見えます。

かと思う間もなく、線路は住宅街へ。

電車は住宅の間を縫うように進みます。

 

あっという間に終点の大井町駅へ。

劇団四季が2010年に開館して、今年閉館したそうです。

11年というと長い年月ですが、私からすると、後からできたもの。

なくなって、元に戻ったという感じの方が強い。

これは人それぞれでしょう。

 

歩いて10分ほどで、東京品川病院へ。

https://tokyo-shinagawa.jp/index.php

子供のときにはすごい遠いと思っていましたが、

大人になって歩くとあっという間で、不思議な感じがします。

まあ歩幅も違えば、体力も違いますしね。体感時間も大きく違うことでしょう。

 

私が生まれたときは、東芝中央病院という名称でした。

それがいつの間にか名称が変わって、それ以外にもあれこれと変化があり。

https://tokyo-shinagawa.jp/about/history.htm

それでもずっと同じ場所に建っていて。時の流れを感じます。

なんだか、武道の流派のようですね。

 

入り口で手指の消毒と検温。時代ですね。

身長と体重を聞かれて、血圧を測定。

採血はチクッとしますよと言われましたが、ほとんど痛みなし。

針がとても細いのと、担当の方がお上手だったのでしょう。

昔は採血なんて恐怖の対象でしたが、今はなんてことなし。

これも技術の進歩でしょうか。

地下に降りて、胸部レントゲン撮影。

女性が担当でとても愛想良し。

薄暗い地下で無愛想な男性が撮影、というのとは大違い。

これも時代?

いつもなら実施する呼吸器系の検査は今回はなし。

コロナのためだそうです。

ということで、検査はあっという間に終了。

片道1時間、往復2時間。そして検査は30分。

まるで稽古みたいですね。ふふ。。。

 

いつもならこのまま帰るところなのですが、

今回は生家の方をぷらっと散策してみることにしました。

 

-----------------------

 

生まれは、東京の品川区です。

#ちなみに品川駅は、品川区ではなくて港区にあったりします。

https://ja.wikipedia.org/wiki/品川駅

 

品川区、いいですよね。

全体が三文字でできていて。

構成する三文字もそれぞれ、

 品は口が三つ、

 川は線が三つ、

 区は、はこがまえ(匚)が三本線。

メだけが二画で残念。。。

ということで、品森晶さんには一歩及ばず。

https://twitter.com/homiya

 

理義字

https://ja.wikipedia.org/wiki/理義字

 

我が家の家紋は、丸に九枚笹です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/竹紋

これは奇しくも館長と同じ。

#英信流の家紋にしている会派もあるそうですが、はて家紋とは?

九枚笹は、三枚一組の笹が三組。3×3ですね。

#3×3EYESを思い出し。派生して三つ目がとおるを思い出し。

 

丸に九枚笹は、よく見ると丸に三角のデザインになっている。

丸に三角と言えば、武道の伝書にもよく出てくる記号の一つ。

館長にヒントをお教えいただき、個人的に追求している理念の一つです。

そして牙狼のエンブレムにも似ていますね。ふふ

 

生家の最寄駅は、立会川駅。

https://ja.wikipedia.org/wiki/立会川駅

以前は線路は地面を走っていましたが、私が横浜に引っ越してから高架化されました。

駅名の由来は、駅前の立会川。

https://ja.wikipedia.org/wiki/立会川

立会川の名称の由来はいくつかあって、その一つは太刀会とか。

居合や剣術を稽古している身としては、親近感が湧きますね。

 

駅前の公園には、坂本龍馬のブロンズ像が設置され。

子供の頃に遊んだ公園には浜川砲台が復元され。

近くには、土佐藩主十五代藩主 山内容堂の墓もあり。

https://ja.wikipedia.org/wiki/山内容堂#人物

子供の頃にはまったく知りもしませんでしたが、

あとになっていろいろな御縁があることを知りました。

 

しながわ観光協会

明治150年 坂本龍馬ゆかりの地を巡る

https://shinagawa-kanko.or.jp/recommended_route/ryomameguri/

 

ということで、大井町からテクテクと。

暗渠から急に表れる立会川を横目に歩き。

40年以上前に通った小学校の脇を通り抜け。

生まれたときからお世話になった病院がまだあることに衝撃を受け。

#さすがに代替わりしているかと思いきや、ホームページには記載なし。まさかまだ現役!?

 

第一京浜国道を歩道橋で渡り。

競馬場通りを東へ。先には大井競馬場があります。

生家跡地をぐるっと回り。

そして、勝島運河沿いを散策。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/勝島

 

浜川砲台跡に一瞥をくれて。

天祖諏訪神社へ参拝。お賽銭は奮発しました。

http://tensosuwa-jinja.jp/

#ドラマ「芝公園」のロケ地の一つでもあります。

https://shiba-park.com/index.php

ロケ地さんぽマップ

https://shinagawa-kanko.or.jp/wp-content/uploads/2019/06/f23855eb13e64ebc1103db3fd0e2072e.pdf

 

駅前商店街を抜けて、坂本龍馬像に一瞥をくれて。

高架になった立会川駅の下を通り抜け、見晴らし通りを延々と歩き。

再び大井町駅方面へ。

 

東海道線と京浜東北線の踏切を渡り。

横浜家系らーめん武術家で遅い昼食。

#東京なのに横浜なのがおもしろいですね。しかも武術家って。。。

 東京生まれの横浜育ちで武道を稽古している身としては、立ち寄らないわけには行きません。

 

大井町線に乗って、帰りはぐっすり一眠り。。。

田園都市線直通の長津田行きだったので乗り換えなし。

座ったままあざみ野に到着しました。

 

小さな頃に過ごした町。

細くて薄暗い路地は、小さな子どもには少し怖くて。

でもいま歩くと、なんということはなし。

遠くにあると思っていたお店は、ほんの目の前で。

急な坂と思っていたのは、坂とも呼べないほんのゆるやかな傾斜でしかなく。

あそこの道とここの道は、こう繋がっていたのか!

なんて発見もあり。

大人になってからあらためて歩くと、とても不思議な経験になりました。

 

武道の稽古も同じですよね。

最初は訳も分からずただ繰り返して。

いろいろな形を覚えて、稽古して。

また最初に戻るけれど、それは最初とはまた違う。

武道に限らず、なんでもそういうものなのかなと思います。

 

貫汪館横浜支部長フェイスブック

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=3055301984692008&id=100006367083102

 

 

<<前の日記:廿日市天満宮奉納演武

 

>>次の日記:稽古納め