OVID-19の感染拡大防止のため稽古なし。
横浜市では7月末まで学校開放中止となっています。
8月から条件付きで再開となる見込みです。
稽古再開は、8月以降の予定です。
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横浜支部の各位に稽古日記を募集しました。
今週もコバヤシさんの稽古日記です。
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このコロナ禍で感じたこと3(コバヤシさん)
コロナウイルスの蔓延が終息に向かいつつある様ですが、稽古がまだまだ再開出来ずにいます。
自宅での稽古をしていますが、どうしても環境が「自宅」なので道場にいる時の感覚が得られません。
しかし、以前の稽古日記にある兵法という考え方を日常動作に取り入れているので武道の存在を忘れる事無く生活が出来ています。
<無双神伝英信流>
エアーで稽古していた大森流ですが、あることに気が付きました。
二本目の左刀よりも四本目の当刀の方が簡単だという感覚がありました。
刀無しのエアーだからなのかはわかりませんが、当刀には正座をして閉じている体を開くと真後ろに振り返れるという感覚で稽古をしています。
しかし、左刀は開ききる途中で終わるので体にブレーキを掛けている様な気がします。
これが左刀の難しさなのかと思いました。
道場で稽古を再開できたらこの感覚の正体を探ってみたいと思います。
<大石神影流>
エアー構えと動画の視聴のみの稽古になってしまっています。
動画を視る事の出来ない昔の人々はどの様にして流派を伝承していったのかと感心します。
<渋川一流柔術>
ドアノブ相手の稽古も慣れてきました。
ドアにかかわらず、何かの手掛かりや取手になる様な物は常に意識しています。
イメージトレーニングもしています。
ある時、イメージトレーニングで忘れかけた動きがありました。
一本目の負投の時の乗せる肩はどちらだったかというものです。
渋川一流柔術の相手が武器を持っているという前提を考慮すると必然的に答えが視えて来ました。
右肩に乗せると左半身を相手にさらす事になり左手の武器で攻撃を受けかねない、だから乗せるのは左肩だと考え、稽古の記憶をたどりました。
間違っているのではと不安に思いますが、稽古で確認したいです。
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はい、今週もよく書けていますね。
横浜支部では、小学校の体育館で稽古をしています。
それでも体育館のことを、道場と呼んだりします。
武道館ですらない、神棚もない、畳もない。
それでも、道場と呼びます。
道場は、もともと仏教の用語のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/道場
そして武道では、導場と呼んでいたようです。
貫汪館<道標>
道場に入ると、すっと身が引き締まる。
さあ、稽古をするぞ!という気分になる。
緊張して、集中して、稽古ができる。
でも同じ場所でも、一人だとなんだか気が入らない。
そんな経験をしたことがある人もいることでしょう。
それはやはり、場の力、なのだと思います。
日時、場所、空間、環境、周囲の人たち。。。
それらが混然一体となって、特殊な空間を作る。
その力を借りて、稽古ができる。
そういったものでしょう。
逆に言えば。
そういった力を借りられなければ稽古ができない。
もし、そうなのだとしたら。
それはまだ未熟だということなのでしょう。
例え一人でも、違う場所でも、違う日時でも。
すっと、稽古に入れる。
それができるのは、修行が進んだ証拠でもあります。
とは言え、それはなかなか難しい。
だから、日時や場所を決めて、習慣化する。
それが稽古を続ける秘訣の一つかもしれませんね。
貫汪館では、鏡を使った稽古は推奨していません。
それは、意識が外形にとらわれてしまうから。
中心が歪んでいるものを、外形で帳尻合わせをしてはいけない。
中心から正す。そうすれば、外形は自然に整う。
だから、内なる感覚を求める。
そういった稽古方法です。
とは言え、たまには確認の意味で鏡を見ることもありかもしれませんね。
ほんのたまにですが。
動画のない時代には、見取り稽古が重要だったことでしょう。
指導も、手取り足とりだったことでしょう。
そして修行が進めば、あとは以心伝心。
貫汪館<道標>
自分の体は、自分で動かすしかありません。
そして自分の体を動かすのは、自分の心です。
自分の心の中に、流派の掟を覚えこませるしかない。
ハードを動かすのはOS。
OSからOSにコピーをする。
そういったことなのでしょう。
アプリをダウンロード、とは違うと考えています。
ときおり、形の手順や順番がわからなくなることがあります。
あれ、どっちだっけ?みたいな。
なので、ときには目録を確認したりして。
でもおおよそ、ちょっと考えるとわかったりします。
自分の中に流派の掟があれば、それを参照するだけです。
たくさんの形を稽古して、その共通項を探し出す。
その共通項から、形の動きを導き出す。
帰納法と演繹法ですね。
そして論理的思考法のもう一つ、アブダクション。
仮定の推論。ただ、正しさは保証されない。
どれも、武道の稽古には必須かと思います。
ただ、それを表に出すことはしません。
あまり理屈っぽいと、嫌われるかもしれませんね。
負投で相手の右腕を乗せるのは、自己の左肩。
そのとおり、正解です。
でも、その理由は?
稽古ではあまり多くを語らず。
そして、見た通りを黙々と稽古をする。
稽古をして、稽古をして。そして考えて、考えて。
それでもわかない。そのとき、師に問う。
それがあるべき修行のあり方なのでしょう。
師にとわすいかに大事を教へき心をすましねんころにとへ
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さてさて、貫汪館では。
そして、北大阪支部も稽古を再開したようです。
北大阪支部<稽古日誌>
東京の世田谷支部は、やはりまだのようですね。
さて横浜支部の稽古再開は、いつになることやら。。。
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