横浜支部長は本部講習会に参加で不在のため、自主稽古でした。
以下、その様子です。
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本日の自主稽古は大人二人だけ。
子供たちは地元の祭りのお囃子隊としてかり出され、今日明日と大忙しのため欠席。
良い機会なので兄弟子と共にじっくりと自分の課題に取り組みたい。
「ほんとにセッカチですよね」
このところ先生(横浜支部長)からよく言われる言葉である。
「カッコつけて、よく見せようとしてますよね」
とも言われる。
「すみません、仕事柄でしょうか」と一応答えてみる。
一般的に見て、時間に追われカッコつけているような印象の業界で私は仕事をしている。
しかし実際は延々と時間をかけ地味な作業の連続なので、セッカチともカッコつけとも無縁。
チャッチャッと適当にやっても通用しない世界なので、セッカチな人もカッコつけの人も第一線にはおらず、したがって「仕事柄で」というのは思いつきの言い訳に過ぎない。
「ほんとにセッカチですよね」
ただこれは稽古の上での話である。
傍からそう見えれば間違いなくそうなのだ。
ここは一度自分を振り返らなくてはならない。
自分にその自覚があれば話は早いのだが、問題は自覚がない点にある。
では何がセッカチでカッコつけに見えるのか。
その検証を今回の稽古の主題とした。
いつも通り、まずは棒回し。
続いて六尺棒の表と裏を少々。
さらに半棒表十二本と裏を少し。
それぞれ打方仕方を交代しつつ、慌てずゆっくりと確認して進め、先生の言葉を反芻する。
「ほんとにセッカチですよね」
セッカチもカッコつけも、貫汪館においては二大NGともいえる動作である。
『ゆっくり、丁寧に動き、また周りに対して自分を良く見せるための動きであってはならない』
これは館長をはじめ、毎週の稽古でも先生から言われている基本の一つで、セッカチとカッコつけの対極にある。
ならば私は、基本中の基本ができていないことになる。
セッカチを簡単に言えば「先を急ぐ」ということだろう。
「この道を真っ直ぐ進んできてください」
と言われているのに、横道からショートカットしてゴールする。
またはわざわざ回り道をしてから急いでゴールする。
決められた道筋を真っ直ぐゆっくりと来ればいいものを、どちらも落ち着きなくバタバタとゴールへとやってくる。
本人がどんなに涼しい顔をしていても、傍目には慌ただしくセッカチに見えることだろう。
実のところ、稽古中に「剣はしっかり頭上を通すこと、横着しない」と注意される。
ショートカットして頭上を通る前に剣を振り下ろす癖があるのだ。
逆に余計な動作で遠回りをして剣や半棒を振り、また注意をうける。
普段、先生の無理無駄のない速い打ち込みに対してゆっくり動けば、体がいくつあっても足りないので、恐怖から慌てて動いてしまうことは多々ある(本当はそんな心配は無用なのだけど)。
どちらにしても無理無駄な動きで、慌ただしく最後だけ合わそうとするので、全体でゆっくりと動けず、セッカチに見える。
「ほんとにセッカチですよね」
なるほど…。
確かにセッカチである。
では「カッコつけて、よく見せようとしてますよね」はどうだろう。
初心者で稽古歴も浅いこともあり、どんなにカッコつけようとしてもカッコがつかない。もちろんよく見せようと思ったこともないのだが、またその自覚の無さが問題である。
セッカチであることを認めながら、剣術・陽之表十本を通し、裏の勢龍と左沈まで、打太刀仕太刀を交互にゆっくりと通す。
そしてそのうちに、言葉は違ってもカッコつけはセッカチと繋がっていることに気がついた。
決められた道筋を通らず慌ただしく来てしまったが、最後の形だけは合わせようという意識がどうしても働く。
つまり形の辻褄を合わせようとする。
これは見映えに整合性を求めようとする心の動きで、つまり「格好をつける」ということになる。
「カッコつけて、よく見せようとしてますよね」
なるほど…。
確かにカッコつけである。
やはり私は、セッカチでカッコつけだったのだ。
うーむ、さすがは先生、見る目が違う!
などど感心している場合ではない。
これでは貫汪館で学んでいる意味がないのだ。
横着していないか(セッカチになってないか)、
辻褄を合わせようとしていないか(カッコつけていないか)
それを強く意識しながら、居合・大森流11本と英信流表・横雲をゆっくりと抜く。
「できていないことをできたことにし、覚えた形をなぞることだけに終始している」
一つの動作をする度に、そんな感覚に囚われる。
稽古を重ねれば重ねるほど、下手になっていく感じだ。しかしこれも問題である。
下手に感じるというのは、言い換えれば「上手い」と思う動作のイメージが頭にあるからで、本質を理解せずにその上辺だけを追い求めれば、結局ただのカッコつけにしかならない。
ひたすら、ゆっくりと、丁寧に。
私がいま気をつけるべきところはそこだろう。
構え、足の向き、力み、緩み、納刀、中心への意識、できていないところを挙げればキリがない。
各問題点はもちろん意識しつつ、でも最大の課題は「ただひたすらに、ゆっくりと、丁寧に」である。
「今ごろ気づいた」なのか、「今だから気づけた」なのかはわからない。
ただ、基本に立ち還らねば、とつくづく思った。
さて、兄弟子との二人だけの稽古なのでサクッと終わるかと思いきや、気づけばいつもと大して変わらず。
この二時間の自己分析稽古が無駄にならぬよう、今後も稽古に励みたい。
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はい、とても良く書けていますね。長文だけど。
←誰に似たのか。。。
稽古においては、見て取ること、感じることこそが重要です。
なので、言葉の重要性はあまり高くはありません。
とは言え。
言葉が便利な手段の一つであることはたしかです。
ワンポイントアドバイスとして発した言葉。
その言葉をどのようにとらえるか。
知ってる言葉。知ってる文法。何度も聞いた言葉。
だから、右から左に聞き流す。
それでは。。。
指導者が発したその言葉。
いーや、そんなことはない。自分はできている。
まさか、そんな考えがちらりとでもあるようでは。
どんな意味でその言葉が発せられたのか。
よくよく考える必要があることでしょう。
耳で聞いて、口で返事をする。
即答はいりません。
そんな簡単なことはお伝えしていないのです。
耳で聞いて、胸にしみて、いずれ肚に落ちるまで。
じっくりと心に留めていただきたいと思います。
すぐにはわからない。あるいは、わかるけれどもできない。
だから稽古する。これは、とても楽しいことですよね。
そしてそれは、なんと贅沢なことなのでしょうか。
せっかくです。めいっぱい、楽しみましょう。
通り一遍の上っ面をなぞっただけで終わりでは、
なんとも勿体無いことですから。
来週は通常通りの稽古です。
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