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長野県の戸隠に行ってきました。
目的はもちろん信州系の英信流と戸隠流忍法の研究。
ではなくて家族旅行です。w
信州高原にあるペンションに宿泊して、戸隠山の麓にある戸隠神社を散策。
森林植物園の水芭蕉を鑑賞して、鏡池のほとりでおにぎりを食べました。
昔は、ただ山を登って下りてなんて、なんて無意味ななんて思ったりしていました。(なんて×3)
でもおつきあいで何度か登り下りしているうちになんだか楽しくなってきたりして。
ただ歩くだけでも、脳にはとても多種多様な刺激があります。
考えなしで歩くなんて言いますが、実際にはものすごい量の情報処理が行われています。
歩法の稽古が、やってもやっても飽きず楽しいのがその証拠かもしれません。
いろいろなひらめきも、散歩の合間にあったりします。
戸隠山は、天手力雄命が天の岩戸を投げ飛ばしてできたとの豪快な伝説があります。
戸隠神社は、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなります。
参拝ではもちろん二礼二拍手一礼をしましたが、神仏混淆で元はお寺だったと知って、なんだかなーという気分になりました。
戸隠神社の中社近くにあるチビッ子忍者村は、駐車待ちの列が何十メートルもできるほどの人気で、入り口近くまで行って断念。
その代わりでもないのですが、奥社前にあるカラクリ屋敷に行ってきました。
なんの説明もなく、自分で通路を見つけて脱出するというコンセプトです。
どうせドンデン返しくらいだろうと思っていたらあにはからんや。
もし一人で入ったら、半日くらいは閉じ込められていたかもしれません。
でも仕掛けがわからずにうろうろしていると、誰かが通路を見つけるのでそのあとをついていくというコバンザメ方式で攻略しました。(ホントは一人でじっくり楽しみたかった。。。)
とーってもおもしろかった。おススメです。
→ネタバレ注意
宝光社近くにある旅館に25年ほど前に宿泊したことがあります。もちろん合宿。
夏の合宿の避暑地で200畳以上の体育館がある場所となるととても限られます。
毎年、同じような場所で合宿をしたのでした。
今回は立ち寄りはしませんでしたが、バスでその前を通過しました。
あー、あそこあそこ!と指をさして大声で騒いだりはせず。
帰宅してから、グーグルストリートビューで確認したりして。
便利になったなあと思う反面、なんだか味気ないなあなんて思ったりしました。
戸隠といえば信州そばが名物です。大きなお店に入りましたが、なんかいまいち。
やっぱり観光地ですね。長野駅前のビルの蕎麦屋の方が美味しかったような。
お店のレジの前には、戸隠流忍法のDVDが置いてありました。
DVDや手裏剣には目もくれず、コレクションしているご当地なめこを購入しました。
帰りがけには、牛にはひかれもせずに善光寺参り。
ちょうどお花祭りで、お釈迦様の誕生日のお祝いだそうです。
雨粒がぱらついていたのでそちらには目もくれず、ご当時なめこをもう一つ購入。
ご当地なめこのコレクションは名古屋西支部長にいつも協力いただいています。なぜか名古屋は何種類もあるのです。さすが東西の文化が交流する名古屋?
そして足早に帰路に着きました。
行き帰りの新幹線は、東京から長野で1時間40分弱。早いこと早いこと。
自由席でもなんてことなく。荷物もないですし、何の苦にもなりません。
大荷物を持っての広島の往復が、思いもしないところで役に立ったのでした。
5月の長野は、まだ雪がそこかしこに残る中、桜が咲いたりもしていて。
なんだか不思議な光景でした。雪と桜
英信流は土佐と信州に伝わったようです。
同じ英信流でも、南国土佐と雪深い信州では、それぞれが独自の発展をしたとしてもなんの不思議もないなあ。となんだか納得しました。
現代のように交通機関の発達していない往時では、各土地でそれぞれ独自の武術が発展・継承されていました。
現代では公共交通機関の発達により、各土地の独自性はうすれつつあります。
発祥地では途絶え、別の場所で伝えられていることも珍しくはありません。
すーぷーしゃん
それでも土地が変われば人も変わりますから、その流儀の特徴も変わるかもしれません。
なんて、とってつけたように武術の話にしたりして。
H26.5.14