貫汪館 横浜支部稽古

週末はのんびりと朝寝を楽しんで、ゆっくりと起き出します。

贅沢なひととき。。。
幸いにも好い天気でしたので布団を干して、掃除機をかけて。
朝の稽古は大森流と英信流表、奥座の約30本。刀の手入れも含めて約30分。
稽古が終わると、遅い朝食です。

 

それからいつもなら家族で外出するところですが、あまり体調がよろしくなく。
家庭と仕事と体育館利用の関係で、多忙な日が続きました。
学校開放の団体で週末に体育館のワックス掛け、平日に運営委員会の会議。
子供が風邪をひいてしまい、仕事を休んで病院に連れて行って家で看病。
子供の風邪がやっと治ったと思ったら今度は自分がダウン。
仕事もあれやこれやと立て込んでいて、これ以上は休むこともできず。
ふーやれやれです。
頭痛と吐き気、だるさ、微熱に全身の痛みとたたかいながらコタツでごろごろと。
風邪なのか花粉症なのか過労によるものか。うーん。
稽古日記がなかなかアップできないのも、そんな理由によります。

読むのはあっという間でしょうが、書くのはけっこう大変なんですよ、これでも。

#毎週おんなじようなことを書いているんだからこぴぺでいいじゃん。

 とか聞こえてきますが、右から左へ受け流します→さすがイアイダー

 

5時45分、着替えの時間。
あーちょっと無理かもと思いながら着替えます。
襦袢と上衣を着て、帯を締めて。袴を穿いて、足袋を履いて。
だんだんと気分も落ち着いてくるから不思議です。

 

6時に家を出ます。
今日は小学校の体育館。なんだか久しぶりです。
居合刀二振り、大石神影流の木刀二振り、定寸の木刀一振り。
外はまだ明るくて、すっかり日が伸びたようです。
前回は3週間前でしたが、こんなには明るくありませんでした。
上にコートを羽織っているとはいえ、道着が少し恥ずかしく感じられました。
足元で袴の裾がひらひらするからでしょうか。
弓道の方はよく道着で電車に乗っておられますが、剣道、空手、合気道などではあまりそういう姿は見かけません。慣習によるものでしょうか。

 

体育館に着くと、もう明かりが点いていました。
中に入ると、デンさんがお着替え中。ご挨拶します。
モップはすでに掛けていただいたとのこと。かたじけない。
いつもどおり、なんやかんやとお話。
気付くと6時20分になってしまいました。少し遅れて、稽古開始です。
---------------------------------
無双神伝英信流抜刀兵法

今回もまた無双神伝英信流の稽古から。

 

正面への礼
居合刀を持って、鞘木刀を持って、大石神影流の木刀を持って。

ときには無手で。
礼法もそのときどきで違います。場所によって、状況は違います。
居合刀を持って居合の稽古だけではあらず。
居合の稽古といって、素抜き抜刀術に限らず。
毎回同じことを同じ順番で行うのは、心の居着きにつながるような気がします。
人数が増えて、稽古内容も固定化されればまた別でしょうが。
その際には、得るものもあれば、捨てるものもあるのでしょう。

 

斬撃
今回は斬撃から。
まず構えるところから、やり直し。まあ予想通りです。
斬撃の稽古といって、その前がおろそかで良いはずがなし。
抜き方から。いや、半歩を踏み出すところから。

いやいや、刀に手を掛けるところから。
いや、その前にまず立つところから。
せっかく早めに着けたなら、稽古が始まる前にモードを切り替えておけるといいですね。
ちょっとゆったりとリラックスしてもらいます。緊張しない。ゆるめること。

 

さて斬撃は、例によって手と足が合いません。いくら言ってもダメ。
上と下が協調一致していません。中心からの動きではない。別々の動きになっています。
振りかぶるときに、刀を勢いで動かしています。腕の力で持ち上げている。
切っ先がぴょこんと跳ね上がるのがとてもとても目立ちます。

 

まず、刀の持ち方ができていないのでしょう。手の内。柄の執り様。
握るのではなく、持ち上げるのではなく。柄の下の指先に軽く引っ掛けるだけ。
重いからと力むと、握り込んで逆により重くなってしまいます。
手のひら全体をぴったりと柄に密着させるように。かといって力は入れない。
あくまでも軽く柔らかく。包み込むように。手と刀をひとつにする。
あれこれと言葉にするとああでもないこうでもないと。
でも要は単に、腕と刀を一体化する、刀と体を一体化する、ということかと思います。
言うだけなら簡単ですが、動きながら、相手と。
簡単なことではありません。

 

振りかぶりは、腕で刀を持ち上げるのではなく、逆に切っ先を押し出すように。
腕と刀が一体になっていれば、刀が前に出ることはありません。
人体の構造上の結果として、切っ先は円く持ち上がります。
腕に力みはみじんもなく、肩も微動だにしません。そのまますっと上がります。
下ろすのは、同じ動きを逆モーションで。ただ腕を下ろすだけ。すっと自然に下ります。
そうそう、それそれ。ただ上げて、ただ下ろす。それです。
小細工は要らない。
ぴゃっと勢いよく下ろして、びたっと止める。そういう動きは求めていません。
留まるべくして留まります。止めるのではない。自然な動きです。

 

結果として、腕と足の動きも合いました。あれま。思わぬ収穫。
でも、腕の力を使っていないのだから、当然と言えば当然です。
腕と足を合わせてください。となんとかの一つ覚えで繰り返すだけではなく。
別の方面からのアプローチで、表面上の問題が解決する一つのケースでした。

 

刀を構えて二三回も往復すると、刀が重くて、腕が痛くなって、肩が凝って、首が痛くなって、背中が痛くなって、という状態でした。
それも、刀の持ち方を直したらならなくなったとのこと。
刀と体が一体化できたのでしょう。
刀の持ち方は、すべての起点になります。
掌中に力みがあれば、それは肘、肩、肚と全身の力みを誘発します。
腕に力みがあれば、自然と腕は体から遠く離れ、体と刀はバラバラに。
ゆるみがあれば、自然と刀は体に近くなり、刀と体は一体化することでしょう。

 

気付くとすでに30分。いつものことです。まだまだ続けたいところですがここまで。

大森流の稽古に入ります。
---------------------------------
大森流
一度抜いて見せて、抜いていただき、問題点を指摘します。普通の稽古です。
今回は最初の示範は、普通のスピードで抜きました。
ことさらゆっくりではなく、という意味です。結果として少し速いかも。
初めてではありませんので、見て取ることができるのではないでしょうか。
見て取れないようでは、困るのです。
かと言って、簡単に見て取れる動きではその程度の動きかもしれません。
武術において、簡単に見て取れるというのは良いことではない気がします。
人に見せるのが目的ではありませんし。

 

初発刀

デンさんには、最初の稽古のときに、稽古記録用のノートをお渡ししました。
紙ベースはお気に召さなかったようで、電子デバイスで記録されています。
二人の秘密の交換日記のようなものです。
無双神伝英信流の技はとらえどころがないようで、記録には苦労されています。
武道の修業歴は長くていらっしゃいますが、言語化は苦手のようで。
子供のときから稽古されている方は、とくにそういう傾向があるようです。
もちろん言語化の得意不得意と技術の高低はあまり関係がありません。

口先ばかりというのはよくあることです。自戒


稽古は毎週実際に拝見していますが、文章での確認も必要かなと。
どうしても言葉による説明が必要な場合もあります。
こちらの説明がきちんと伝わらないようでは困ります。
またいずれご自身が説明する際に、あたら誤解を招くような表現を遣うようでも困ります。
多少はテキストの共通化も必要ではないかなと。
やはり少し気になる表現があったりしますので、それを確認して。
どうしても上手く伝わっていない部分、誤解している部分があるようです。
あらかじめ確認ができれば、それを次回の稽古に活かすことができます。

 

稽古しながら繰り返し繰り返し説明していると、言葉による頭での理解ではなく、実感をともなっての体感として理解されるときがあります。
それこそが本当の理解なのかと。そうなると、以降の稽古はとてもスムーズです。

押さえつけることはなく。腕は使わず。中心の動きで。開き閉じる動き。
踏み締めない。力まない。弛める。止まらない。動き続ける。などなど。

いずれにしろ、とてもお上手でいらっしゃいます。
あとはそれを自分のものにできるかどうか。
いきなりぱっと取り出して見せることができるかどうか、というところでしょうか。

 

やはりあっという間の30分です。いくら繰り返しても飽き足らないところですが、次へ。
---------------------------------
左刀、右刀、當刀
ついひとくくりにしてしまいがちですが、左刀と右刀は異なります。
あるいは理解が浅いからそう感じられるだけで、やはり実際には同じものなのでしょうか。
ただそれを言うと、すべては初発刀の変化応用という一言になってしまいそうです。

 

左刀と當刀は同じです。後ろへ廻と脇へ廻ると斗相違也

どちらもとてもお上手です。ただ途中でやめてしまうことがしばしば。
お聞きすると、転んでしまいそうになるからと。良いことです。

 

右刀はまだつかめていない様子。
上手く行くとすっと抜けてしまうので、実感がなくて不安なのでしょう。
どうしても実感を求めてしまうものです。でもそれでは上達しません。
それでよいのだ、と観念するしかありません。
実感を求めていては、あらぬ方向に進んでしまいます。

 

私の少ない試し斬りの経験上は、上手く斬れたときにはまったくなんの手応えもありませんでした。

斬りの途中で、ん?となにかを感じたときは、斬りを失敗したとき。

斬るのに力はほとんど要らず。力を入れると余計斬りにくかったように思います。

上手は、難しいことをなんでもないことのように簡単そうに行います。

下手は、大したことないことをとても難しいことのように行います。

それと似ている気がします。

 

初発刀、左刀、右刀、當刀いずれも、前足と後ろ足がクロスしてしまいます。
これは、あらためなければなりません。
---------------------------------
陰陽進退
とてもお上手です。初発刀がお上手なので、当然と言えば当然ですが。
ただ張り受けがいまいちです。どうしても止まってしまいがち。
形を気にすると、確認のために止まってしまいます。
でもそれではいつまでたっても、正しく動けるようにはならない。

 

できないから止まって確認するのだ、という考え方もあるでしょう。
ですが、自転車に乗れないからと、まず止まる練習をする人はいません。
きちんと止まれるのは、逆にかなり上手になってからのことです。
もちろん、補助輪を付けて止まっていてもなんの意味もありません。

ただまあこれは考え方であって、方法論の違いなのかもしれません。
居合と自転車は違うだろう。と言われればそれはそうですし。
適切なメタファーと思うか、我田引水と思うかはその人次第です。
---------------------------------
流刀
お上手でしたが、なんだか違う。別の流派の動きのようです。
何度かやって見せて、やってもらって。

 

やはり止まらない動きというのはとらえどころがないものですね。
教わるのも難しければ、教えるのも難しい。
止まって形を見せて、角度は何度、長さは何センチ、さあ真似をして。
この方が簡単です。

 

一応、形はこう。と止まって見せて、言葉でも説明してみますが、どうも違う。
やはり動きながらやって見せて、それを真似してもらうしかない。
合理的でないと思いながら、でも実はそれが一番、合理的なのかもしれません。
近道ばかりが正解とは限りません。
---------------------------------
順刀
やはり最初の半歩が難しく。なかなか体が一つにまとまりません。
手が動き、足が動き、腰が上がり。なんだかバラバラ。

そうではないのですが。

 

初発刀では沈む動きが強調されがちです。見掛け上、上体が前に倒れます。
ですが実際にただ沈んでしまっては、動くことはできません。
陰陽進退では立ち上がりながらの斬撃があります。下がりながら立つ動きも。
流刀では低いまま水平に前方に大きく移動します。
順刀からは、上向きの力が目に見えて大きくなります。

 

左鞘手の初動がキーです。全身が浮く動きを導きます。ふわりと軽く。
そのまま立ち上がりながら刀を上方に抜き出して。
蹴る動き、止まる動き、力みはなし。
肩の後ろに吊り下げて一度止まりますが、意識は止まらず。
最後まで、意識が止まることはありません。
形は単純ですが、難しい業の一つです。

 

この最初の半歩を軽んじていては、以降の業の上達は覚束ないでしょう。
---------------------------------
逆刀
さてさて、最初の難関でしょうか。もちろん、前の業もすべて難しいのですが。
右足を半歩踏み出して、刀をがっと抜き出して、さっと立ってぱっと抜き打ち。
うーん、なんか違う。

 

刀を抱え上げて右足を半歩踏み出しますが、腰は伸ばしきりません。

中途半端なまま。
この中途半端を、中途半端はまま受け入れることができるかどうか。
びしっと腰を伸ばさないと気が済まない人は、以降の動きはできないかも。
ぴしぴしと細切れに動くのではなく、どこからどこが区切れなのかわからない。
そんな動きがいいような。気づくと抜けている。斬っている。

 

刀をそっと抱え上げながらわずかにすっと腰が上がって軽く半歩踏み出したと思ったら体はそのまま左足がすーっと下がっていつの間にか刀が抜けたと思ったら体は寄りながら立ち上がっていつの間にか左手が柄にかかっていてそのまま抜き打ちところで昔の人の文章って区切りがよくわからないですよね。みたいな。

とらえどころがない、一連の動き。

そこからさらに二刀目の斬撃までも止まることなく。流れるように連続して。
静かに上段となり、膝を着いて留め、血拭い、納刀。
静かに立ち上がる。
---------------------------------
勢中刀
右刀ではなく、順刀、逆刀の次の業。

力まずに、すっと斬ることができました。いい感じです。
運剣自体は初発刀とほとんど同じです。
---------------------------------
虎乱刀
さらにいい感じです。
するすると歩みながら、抜きつけて斬る。
運剣は初発刀と同じです。立って歩みながらできるかどうか。
最初の斬撃の稽古が活きています。このまま身に付けていただきたいと思います。
---------------------------------
抜打
がっと抜いて、ばっと振りかぶって、びゃっと斬る。さっと開いて、ぐっと納刀。
ではありません。
例によって、とらえどころのない一連の動き。

 

長い刀は正座のまま頭上に抜くことはできません。腰を上げれば抜けますが。
腰を上げないのであれば、横に抜くしかない。いつもどおり刀を抱えるように。

抜くだけならどうとでも抜けてしまいますがそうではなく。相手は目の前です。

すっと横に抜いて、止まることなく運剣し、そのまま斬撃。一連の動きです。
つい腰を伸ばして腹を出して、とやりたくなるかもしれませんが違います。
遣うのは肚であって、腹筋を使うのではありません。
体全体で斬ります。

 

横に開いて、納刀。が地味に難しい。
もちろん、ただ納刀するだけならどうにでもなりますが。
長い刀を、貫汪館の無双神伝英信流の方法で納刀するには工夫が必要です。
横に開いての納刀は、陰陽進退でもすでに出ています。
ですが、立った状態では如何様にも誤魔化せてしまいます。
座った状態で、こじりを左右に振ることなく、床を打つこともなく、
刀と鞘が一直線になって、すっと切っ先が入らなければなりません。
柄も横から鷲掴みではなく、虎口にきちんと乗っていなければ。
肩、肘、手首が沈んでいることは最低条件です。

たかが納刀、されど納刀。これがわかると、また見えてくる部分があります。
抜きつけと納刀は表裏一体です。
---------------------------------
最後に一緒に大森流を通し抜き。

8時45分に終了。約2時間半弱。

 

木刀は持ってきましたが遣いませんでした。大石神影流の稽古もしたかったのですが。
素抜き抜刀術の稽古だけなんて、まるで普通の居合の道場のようですね。
でもまあ、たまにはいいですよね。ん、先週と先々週もそうだったか。
来週はまた、大森流、太刀打、詰合、大石神影流の稽古をしたいと思います。

 

稽古の最初は軽く汗ばんで、もう厚着をしなくてもいいかななんて思いましたが、途中からはだんだん冷え込んできました。自分はあまり動かないからでしょう。
頭痛や吐き気もぶり返してきましたが、なんとか最後までもちました。
来週までには体調が戻っているといいのですが。仕事は忙しくなるばかりです。

 

なにが大変って、仕事と家庭と稽古の三つ巴というか三竦みというか鼎というか。

稽古そのものは楽しくって楽しくって、一日中でもしていたいくらいなのですが。

皆さん同じ苦労をされていることかと思います。 

H26.3.26