居合刀二本と大石神影流の鞘木刀二本、常寸の鞘木刀を持って家を出ます。
小学校の校門に「貫汪館 横浜支部」稽古中のカードをぶら下げて、
門の鍵を開けて、体育館の鍵を開けて、明かりをつけて、刀の準備など。
前回とほぼ同じ時間に、新しい方がいらっしゃいました。
遠方から交通機関を乗り継いで移動すると、多少のずれがあっても、
乗り換えや急行などでその誤差は吸収されてしまいます。
結果として、ほぼ同じ時間に到着する、ということになるのでしょう。
近場の人は時間に余裕があるので、かえってバラバラになったり遅刻したり。
小学校のときも、学校の目の前に住んでいる子がよく遅刻していました。
逆に遠くから来る子は、1時間以上早く登校していたり。
子供だけの話かと思いきや、社会人になってもあまり変わらなかったりします。
モップ掛けは二人だととても楽です。作業量が半分になりますから当然ですが、
それ以上に気持ち的な部分が大きいかもしれません。
雑談をしながら着替えをお待ちします。
準備が終わるころちょうど時間になって、稽古を始めました。
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正面に礼をして、今回は礼法から。
ここでいう礼法は、立ち方や座り方などの基本的な所作を含みます。
そしてそれはつまり、貫汪館の基本にほかなりません。
業は、礼法ができる程度にしか行うことはできません。
少なくとも貫汪館では。
立ち方
そけい部を弛めます。重心は体の中心を通る垂線で、足は指先や踵に偏らず、足心を通る。
やはり棒立ちの腰高です。弛める、という表現はなかなか通じにくい。
やむをえず腰を落とすという表現で説明すると、腰は落ちますが、全身が緊張してきつそうです。
あちこちが傾き、その歪みを筋肉で引っ張って支えています。でも自覚がない。
あちこちぶらぶらさせて、緊張をほぐします。
軽く一回ジャンプして、柔らかく着地。いい感じです。その体勢を覚えていただきます。
最小の力で立てるポジションを探すこと。これが当面の課題です。
そけい部を弛める。これをどこまで理解できるかが、最大のポイントかもしれません。
正面への礼
そけい部を弛めること。
上体を腰から折り曲げるのではなく、足首、膝、腰を柔らかく。パンタグラフのように。
メリハリよくキビキビと動くのではありません。静かに。勢いをつけない。
刀の持ち替え
これもおろそかにはできません。すべての所作が大事です。
刀の重さを感じること。最小の力で行うこと。勢いを使わない。静かに。
この動作一つを見ても、その人の技量はわかってしまいます。
座り方
さて最初の難関。
実際にはただ立つこと、そして立って礼をすることからすでに難関なのですが、最初は本人にはなかなか実感が難しいかもしれません。
立ち座りは、できていないことが本人に実感しやすい最初の一つかと思います。
まっすぐ座り、まっすぐ立つ。左右に傾かない。勢いをつけない。静かに。
実はできていないということを実感することが、修業のスタートです。
どうしても前後左右に歪みます。当然、静かに動くこともできません。
立った状態から蹲踞になってまた立ち上がる動作を、しばらく繰り返しました。
同じスピードで、左右に傾かず、静かにまっすぐ立つ。膝を伸ばしきらない。
なかなか難しいようです。足の筋力を使い、勢いを使って動いてしまいます。
日常の動きでしょうか。
日常の動きを武術武道の世界に持ち込むのは禁忌です。
逆に、武術武道の動きを日常に持ち込めなければ、修業は進みません。
日常の立ち居振る舞いをみただけで、その人の技量はわかってしまいます。
腰を下ろし、静かに膝を着き、足首を伸ばしてお尻を足の上に下ろします。
上体を起こすのではなく、重心が沈む作用の結果として上体が起きる。
動きの中心は胸ではなく、肚。そしてさらにもっと下。
重心が床の下に沈むようなつもりで。
座姿勢
悪くありません。以前よりもだいぶ弛んでいます。
肩や背中、腰、肘や手首、指先まで。気になる点を指摘します。
四指をそろえてまっすぐ伸ばしています。ロボットのようです。
力が抜ければ、自然に軽く曲がるはずです。伸ばすのでもなく、握るのでもなく。
両手を太腿の外にだらんと垂らした位置から、手を太腿の上にそっと持ち上げる。
腕先の力を使うと、肘が固定されて手先だけが上がります。
実は、とても不自然な動きです。上体を折り曲げて礼をする動作と似ています。
自然に手を持ち上げると、パンタグラフと同じように、肘が後方背中側に寄る。
これが理解できるようになるには、まだ少し時間がかかるかもしれません。
ですが、これができないと鞘手柄手、抜きつけはできません。
外形を取り繕うのではなく、実感として体得できることを願います。
座礼
手を着くことが目的ではありません。上体が自然に倒れる結果、手が出ます。
座ってお尻を下ろすときの動きの反対の動作です。
理屈はわかるようですが、なかなか再現ができません。
途中までできても、途中から急に手先が動いてしまったり。
左手はできても、右手ができなかったり。
着くときはできても、戻すときにできなかったり。
無双神伝英信流の礼は、かなり遠くに手を着きます。そけい部の弛みは必須です。
これができなければ、抜きつけはできません。
立ち上がり方
座るときとちょうど反対の動きです。
左手を鞘に掛け、転がるように重心が浮き上がり、右足を踏み出して立ち上がります。
右足を踏み締めない。蹴った反動で立つのではない。勢いを使わない。静かに。
カクカクとした動きではなく、一連の動きで。動作を区切らない。なめらかに。
補助で、右手人差し指を軽くつまんで引っ張り上げてさしあげると、
静かに立ち上がることができます。
加えた力はほんの数百グラム。体重に比しては微々たるものです。
それでも効果はてきめん。けっきょくは、心の問題なのかと思います。
あるいは、自転車に乗る練習の補助のようなものでしょうか。
違いはほんのわずかでしかありません。
さてさて、ここまでですでに1時間以上を費やしてしまいました。
途中で切り上げようかとも思いましたが、こちらからなにも言わなくても、もう一度繰り返されます。
楽しいですかとお聞きすると、難しいですと。でも楽しそうです。
こういった基本に楽しみを感じることができるかどうかが、
上達するかどうかの分かれ道のような気がします。
本人がつまらないと感じるものを、楽しめと言っても無理な話ですけれども。
馬を水辺に連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない
という諺があります。
馬に例えるのは失礼かもしれませんが、要は、本人次第ということかと思います。
せっかくなので、もう少し。
歩法
立ち姿勢を思い出してもらいます。
そこから歩きだしてもいいのですが、半身が基本です。
右足を軽く半歩踏み出して半身となり、その姿勢をキープするように歩いてもらいます。
右足はまっすぐ前に。左足もまっすぐ前に出しますが、爪先は外を向く。
足を大きく踏み出すのではなく、重心の移動で歩く。足は遣わない。
なかなか説明も難しい。
向かい合って歩き、こちらは下がって進むのを導き、進んで下がるのを導く。
一度、極端に腰を低くして、その状態で歩いてもらいました。
キツイのは、足で踏ん張って歩こうとしているから。蹴る必要はない。
低い姿勢で歩ければ、普通の姿勢で歩く感覚の理解の助けになります。
刀を抜いて、構えて歩きます。
二尺八寸をお貸しして、それで歩いてもらいました。
とてもよく似合います。やはりこのくらいの長さでないと。
切っ先を指ではさんで、軽く引きます。立ち上がるときの補助と同じです。
加えている力はほんの数百グラムですが、動きがとたんに良くなります。
斬撃
足を先に出して踏ん張って立ち、腕の力で振ってしまいます。
切っ先は大きな円を描いて先行し、びゅっと大きな刃音が。
刃音自体は、悪いことではありません。刃筋が通っている目安になります。
ただ、樋が入っていれば、音は鳴って当たり前のことです。
それを大きく鳴らせるための動きに見えます。
斬撃は、当てることが目的なのではなく、斬ることが目的です。
腕先の力ではなく、足で踏ん張るのではなく、手元を下ろすだけ。
刀を振り下ろしたいのだから、踏ん張って上向きの力を発生させる必要はない。
体全体を沈める。そけい部を弛める。
勢いよく振る必要はありません。ゆっくり、静かに稽古します。
納刀
歩法の稽古を終えるのに、納刀をしてもらいました。
すでに別のスタイルが身に付いていると、新しい動作を理解することは難しい。
似ていると、なおさらまぎらわしいものです。
小手先の修正で誤魔化してしまうと、いつまでも身に付くことはありません。
一からの覚悟が必要です。
ここまで約1時間半。
基本の稽古はきりがありません。これで良い、ということがないのですから。
基本の底上げが、けっきょくは形のレベルの上達になるかと思います。
基本をどこまで追及するか。
もっとも、基本はあくまで基本でしかありません。
基本の追及は稽古の一つであって、それが目的ではありません。
武術武道とは何かと考えれば、自ずとわかることかと思います。
基本はできて当たり前。ただ、その当たり前が、とても難しいのですが。
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大石神影流
試合口五本
一心 無明一刀 水月 須剱 一味
仕太刀を五本通してもらい、続いて打太刀を五本通してもらいます。
口頭でフォローしながらではありますが、だいぶ動けるようになりました。
上段の振りかぶり方、請け方、張り方など、少し細かく説明。
最初からあまり細かく説明をしてしまうと、理倒れになる可能性があります。
かと言って、理解がなければ理に欠けます。バランスが大事かと思います。
弛めることを重点的に指摘いたしました。
さらっと通して終わりに。
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無双神伝英信流
太刀打
出合 附入 請流 請入 月影 水月刀 独妙剣 絶妙剣 心妙剣 打込
同じように仕太刀を十本通してもらい、続いて打太刀を十本通してもらいました。
だいぶ止まらずに動けるようになりました。
形の手順をまだよく覚えてはいらっしゃいませんが、それはまあ追々。
普通、形の手順を一本覚えたら次の業、という稽古方法が一般的かと思います。
ただこれは、形の手順を覚えることが目的となってしまいがちです。
極論、形の手順も順番も覚えていなくても、動けさえすれば用は足りるわけで。
逆に、形の手順だけ覚えていても意味はありません。
実際、手順はほとんど説明していません。
初期設定だけお伝えして、あとはその場その場です。
相掛かりか待つか、高山か肩か。その程度です。
打ち込まれたら、請けるか払うかかわすかしかありません。
考えなしに動いて、別の形になったらそれはそれで、それまでのこと。
とくに問題はありません。見事な演武をしたいのなら話は別ですが。
私としては、相手を型にはめて勝ちたいのです。
打太刀であっても、仕太刀であっても。
なんの説明もなくても、こちらが動くと相手がそれに応じる。
形はその結果でしかない。
形の手順を覚えてしまって、見事な演武を心掛けるようになってしまっては、それはもう死物でしかない。
稽古する価値のない物だと、私は思います。
決められたカタチを正確にトレースしてその正確性を競うことには、
私は興味を感じないのです。あくまで私個人の価値観の問題ですが。
ここですでに稽古終了の時刻になってしまいました。
帰りの確認をして、もう少し稽古を続けることにしました。
体育館自体は9時まで利用できます。
詰合
発早 拳取 岩浪 八重垣 鱗形 位弛 燕返 眼関落 水月 霞剣
同じく仕太刀を通してもらい、打太刀を通してもらいました。
形そのものよりも、座り方が気になりました。
右足を半歩踏み出して、袴の股立ちを取って腰を下ろす。
すでに半身になっていますので、そのまままっすぐ下りるだけです。
それがなぜか、前後左右にぐらついてしまいます。
最初の半歩の位置が悪いのか。
ただ、立って座る。そのことが、どれだけ難しいことか。
そしてもし立って座ることができれば、それは即業ということかと思います。
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定時を少し過ぎて、稽古は終了となりました。
急いで着替えて、体育館を出ます。
今回はちょっとインチキをして、お腹にカイロを入れておきました。
手足が冷えるからと手足を温めても、あまり効果はありません。
体温は血液の温度とも言えますが、血液は内臓に多くあります。
そして内臓があるお腹を温めることは、全身を温めることにつながるのです。
居合は、初発刀と横雲、虎一足、稲妻を前回ほんの数回稽古しただけで、
主に、試合口五本、太刀打、詰合を稽古しています。
形数は計約二十五本ですが、打太刀仕太刀を別に数えれば約五十本。
講習会を入れても、まだ三回目の稽古です。
礼法ばかりみっちりやる一方で、この数はすごいですね。
よくがんばってくださっています。
でもまあ、これが貫汪館スタイル、ということで。
来週は、貫汪館 横浜支部の稽古納めです。
H25.12.23