貫汪館 横浜支部稽古

11月になりました。霜月です。
睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走
弥生と師走だけは○○月となっていませんが、それぞれ本来は、
 木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)、師馳月(しはせつき)
だったのだとか。
他の月もいずれも省略した呼び方で、さらにそれぞれ複数の呼び方があったようです。
いずれにしろ風情があっていいのですが、普段から慣れ親しんでいないと何月だかわからなくて混乱してしまいます。
霜月は11月で葉月は8月だからえーと3か月前か、とかちょっとめんどくさいですね。

 

英語だと接頭語がついていて、私などは逆に混乱してしまいます。
October はえーと oct が 8 だから8月。ではなくて、2を足して10月か。
12月は12の接頭語はえーとそんなのあったっけ?

ああマイナス2だから10で dec でDecember か。みたいな。
全部の月が接頭語ルールではないからさらに困りますが、8th month とかでも通じるみたいです。

 

大森流や英信流の業名も風情があっていいのですが、何本目と言われてもぴんと来ません。でもとくに困ることもありません。
大会や審査などで何本目と何本目のように指定されたりする連盟の制定居合などでは、業名ではなく何本目と呼ばれることが多いように思います。
風情と実用と、どちらを優先するのかということかもしれません。

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11月になって、上着にネクタイで出勤しています。
日中は陽が射すと暖かいのですが、行き帰りの朝夕は上着なしでは寒くなりました。
毎朝のシャワーもなかなか熱いお湯にならず、滝行のようになっています。
家での稽古も、少し前までは窓を開けていても汗ばみましたが、最近は窓を閉め切って、さらにときにはストーブをつけることも。
汗をかかなくなった分、手のひらが汗ばむようになり、柄の革巻きがべたついたりします。

 

出雲の奉納演武のあと、二回ほど不思議な感覚になりました。
最初はなにをやっても自分の一挙手一投足が雑に思えて仕方がなくなりました。
自分の演武のビデオを見て自覚するということは今までにもありましたが、今回はビデオは見ていません。ただただ、自分の粗雑さが気になったのです。
それから少しして、水の中を動くような重たさ、身の回りをなにかがまとわりつくような感覚、自分の体がゼラチンかお餅にでもなったような感覚がありました。

もともと速くは動いていないつもりだったのですが、ゆっくり均質に動く感じでしょうか。
いずれもすぐに消えてしまいましたが。

 

広島の講習会に参加すると、今までにも何度かこういう体験がありました。
稽古中に、お腹の中を何かがくるくると回る感じとか。
背中がばきばきと音を立てて、今まで凝り固まっていたなにかが砕けた感じとか。
いずれもすぐに消えてしまうのですが、なにかが大きく変わったときにあるのかなと思っています。

稽古を重ねることは大事ですが、ただ漠然と回数を重ねただけではなく、なにかをきっかけにして起きるようです。

ただ、いずれもすぐに消えてしまうので、単なる気のせいなのかもしれません。

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居合刀のみを持って稽古に向かいます。なんとなく剣に集中したい気分でした。
六尺棒は毎日家で廻しているし、半棒の表裏も稽古しているし。
もちろん、剣も毎日稽古しているのですが。
そういえば先週と先々週は体育館での稽古がなくて、その前は雨降りで棒はなしでした。でもまあいいか。

外は風が吹いて、かなり冷え込みます。
体育館の床はかなりほこりっぽくなっていました。空気が乾燥しているせいでしょう。
道着の下には襦袢を着て、さらにその下にはTシャツを着ました。
これからさらに寒くなれば、袴の下にはスパッツを穿くようになります。
さらに寒いときには、ふところに使い捨てカイロを入れたりも。

 

正座して黙想
かなり冷え込むときでも、深い呼吸をしていると体の芯からポカポカしてくることもあります。

ただ残念ながら、今回はそうはなりませんでした。

体が冷え切ってしまう前に立ち上がります。

 

歩法

刀なしで、帯刀して、抜刀して。体育館の床にあるラインを目安に歩きます。

左右で一歩と数えて、毎回だいたい9歩くらいです。
ただ、そのときどきで多少のずれがあります。毎回同じがいいのか。違って当然なのか。

 

斬撃
歩きながら振りかぶって、振り下ろします。歩数は決めず。そのときの気分です。戻るのも歩法の稽古になります。
抜刀して歩き、斬撃をして歩き。気付くとかなり長いこと、抜刀したままです。
居合の稽古では、抜いて斬っては納め、抜いて斬っては納めですから、

あまり長い時間を抜いたままということはありません。
こういった稽古をすると、普段は気付かない力みに気付いたりもできます。
外見上は同じに見えても、力の遣い方はまったく違ったりするものです。
見る人が見ればすぐにわかるのでしょうが、まずは自分が気付けるようにならなければ。

 

大森流、英信流表、英信流奥

間をたっぷりと取って、でも一息に抜きます。
斬撃で正対してしまう癖がありますので、それを直したい。
フィニッシュの形にこだわっていても、直るものではない。その前の動きが大事です。
一つ前にさかのぼり、もう一つ前にさかのぼり、さらに一つさかのぼり。
けっきょくは座っている形に戻り着きます。
最初にきちんと座って、きちんと動けばよいだけのこと。
それを余計なことをするからいけない。形ではなく、動きを直す。

形は結果。
そして重要なのは、そけい部の弛み。
立ちより座っている方が難しいように感じます。
そして、立膝よりも正座の方がさらに難しく感じます。

 

太刀打、詰合

続けて遣います。打太刀と仕太刀を交互に。
居合刀だと重く感じます。居合で、片手で抜き付けて両手で斬るときには気にならない。
両手で持ったまま取り廻すと、力任せになってしまうのでしょうか。
それでは剣術にならない。重さを感じないときもあるのですから、心の問題なのでしょう。

 

大小詰

一人で動きます。
昔、講習会で、館長が一人で動いているのを見ました。不思議な感じでした。
今は、ああこれか、とわかるような気がします。気がするだけかもしれませんが。

 

一息いれます。あっという間の1時間です。正座と歩法も入れると1時間半。

 

続いて大石神影流

やはり居合刀で。
試合口、陽之表、陽之裏、鞘ノ内。やはり刀を重く感じます。
腕力で速く振ろうとしているように感じます。
木刀だと軽くて速く動けますから、それを基準にしてしまっているのかもしれません。
逆に言えば、木刀は腕力で遣ってしまっているということなのでしょう。

 

澁川一流抜刀術
長い居合刀だと難しい業がいくつかありますが、ゆっくり確認しながら抜きました。
あわてて抜こうとすると、切っ先が引っ掛かって抜けない業があります。
ゆっくりはやく、が理想です。

 

あっという間の2時間半でした。

来週はまた六尺棒を廻して、半棒表裏を稽古しようかと思っています。

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<横浜支部ホームページについて>

 

タイトル画像とバックを明るくしてみました。
黒のバックに白黒のグラデーションは、貫汪館の正統派スタイルを継承!みたいなつもりでいましたが、明るい方がいいと。

 

ギャラリーを新設しました。
とりあえず自分の写真だけぱらぱらと。半棒の写真ばかりなのが気になりますが。おいおい増やします。→出雲大社の写真を追加しました。 

動画もそのうちアップできたらいいなと思っています。

 

カウンターを新しくしました。
何日か消えてしまっていたので、大元がなくなってしまったのかと思って。

もしかしたらそのうち復活するかとも思ったのですが、表示も遅くなっていたので。

そうしたら復活したみたいですね。1200以上回っていたので、残念ですが。。。
トップページに合わせてまた一からやり直しということで、気にしないようにします。

H25.11.10