めっきり秋の陽気となりました。
日中は陽射しも暖かく散歩日和でしたが、陽が落ちるとだんだん涼しくなります。
居合刀、大石神影流の鞘木刀、半棒、六尺棒をかついで体育館に向かいます。
外は涼しかったのですが、体育館の扉を開けると熱気がこもっていました。
座って準備をしていると、耳元をぷーんと。まだ蚊がいるとは思いませんでした。
右手を二か所ほど刺されてしまいましたが、あとはもう刺されませんでした。
それでお腹がいっぱいになったのでしょう。体育館の使用料と思うことにしました。
室内で越冬する蚊もいるそうですが、体育館では難しいかもしれません。
道着の下の襦袢は、夏は暑いですが汗を吸い取ってくれます。
今回は防寒になるかと思いましたが、なくてもちょうどいいくらいな感じです。
正座して黙想します。なかなかリラックスできません。緊張が強いようです。
肩周り、首周り、顔面、後頭部、側頭部、頭頂部に強い緊張を感じます。
奥歯も無意識に噛み締めています。意識して歯と歯を軽く離しますが、またすぐに強く噛み締めてしまいます。日常のストレスからでしょうか。
足の指先から、各部を順に自己確認します。頭頂部まで確認して、もう一度。
しばらく何も考えずに、ただぼーっとします。そのうち緊張が解けたようです。
静かに目を開けます。いつもの感じになりました。
右足を静かに踏み出して、静かに立ち上がります。
右足を踏み締めないよう、そけい部を固めないよう。
天から頭頂部を引っ張り上げてもらうつもりで、静かにふわりと立ち上がります。
立ち上がっても、膝が伸びないよう、そけい部を固めないよう。
上体も脱力したまま。
頭頂部を通る一本の垂線だけを意識します。天から地へと伸びる一本の線。
視線は平行に前に向けて、水平垂直前後のバランスを取ります。
右足から静かに前に歩きだします。
後ろ足で蹴って足を前に振り出すことのないよう、前足は膝より前に出ないよう。
肚から動き、重心の移動で動くことを意識します。足は使わない。静かに。
歩行中も、右足前の半身が基本となります。
前を向いた右足はまっすぐ前に一歩、左足はやや外を向いた少し小さめの一歩。
軸が左右にぶれるのが気になります。そけい部のゆるみが甘いのでしょうか。
端まで進んだら、そのまま下がります。
元の位置に戻ったら、また静かに座ります。
少し間を置いて、また立ち上がって進む。
自分では苦手意識のある下がる動作の方が上手だと言われます。
進む歩法、退く歩法。自分で自分の動作を観察します。
繰り返すうちにペースが速くなりがちなので、そうならないように。
ゆっくりていねいに繰り返します。
気付くと30分ほど経っていました。単純な稽古ほどやり出すとキリがありません。
半棒を廻します。
六尺棒に慣れてしまうと、軽くて短くてコントロールが難しいです。
ある程度速く廻した方が安定して廻しやすい。でも力は入れない。
太刀の扱いは、小刀や扇とは違う。その逆とも言えるかもしれません。
半棒表、半棒裏
そけい部をゆるめて立ち、静かに動きます。腕先は使わない。
裏も同じ。より伸びやかに。
続いて表をもう一度。裏の動きに引きずられました。
本来は相手の状況に応じて変化すべきなのでしょう。
六尺棒を廻します。
半棒のあとでは長く重く感じます。
長さ重さに応じた遣い方を心掛けます。
小手先で廻そうとはせず、重心の移動を棒の回転に乗せるように。
そけい部をゆるめて動くのは基本です。
じっとりと汗をかきました。
体の表面を流れ落ちるとというほどではなく、体の中から汗をかく感じです。
水分補給をしながら一呼吸。今回はポカリではなくてただの水にしました。
無双神伝英信流の稽古に入ります。
大森流英信流表英信流奥。今回は間をさらに長めにとりました。
約40本を約50分。
袴さばき、座り方、残心と一つ一つおさらいのつもりで。
足に少し疲れが出ました。そけい部のゆるみをさらに意識したせいでしょうか。
たかだか40本くらいで疲れるということは、動きに無理があるということです。
深く反省しなければなりません。
一息入れます。
太刀打詰合
大石神影流の長い鞘木刀を遣ってみました。
請入は難しい業の一つですが、木刀の長さが動きを助けてくれました。
いい感じです。
大石神影流の試合口、陽之表、陽之裏、鞘ノ内。
あわてず落ち着いて。一つ一つの動作をていねいに。
相手との駆け引きを意識して。
昇段審査で注意された点に気をつけます。
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大石神影流の木刀は、市販品ではなくて貫汪館で特注したものです。
鍔はプラスティック製の市販品を購入して、穴は削って合わせました。
大きすぎる穴を調整して使えるようにするのは素人には難しいかもしれませんが、削るだけなら誰にでもできます。
ですが、それが簡単に思えてなかなか手こずりました。
途中までは入るのに、根元までは入らず。隙間はあるのになぜ入らないのか。
あっちを削り、こっちを削り。削り過ぎると戻せないので少しずつ慎重に。
ある一か所をさらにほんの少しだけ削ると、突然すこーんと根元まで入りました。
その直前まであれほどきつくて入らなかったのが、突然入ってびっくりです。
幸い、無駄に削り過ぎたということもなくちょうどよい形となりました。
考えなしに削っていたら、ブカブカで使い物にならなくなってしまったことでしょう。
稽古も同じようなことかもしれません。
師がいれば、言われたところを削るだけで、すこんと根元まで入ることでしょう。
ですが言われたところを削りもせず、あちらを削りこちらを削りでは、いつまでたっても根元まで入りません。そればかりか、無駄に穴を広げるばかりです。
無駄なだけならまだしも、努力を重ねた結果は遣いものにならないものの完成です。
鍔なら、新しい物を買ってきて最初からやり直すことができます。
ですが体の換えはありません。身についた悪癖は、取り除かねばなりません。
しかしそれはなかなか容易なことではなく、さらに何倍もの手間を要します。
業の稽古というと、何かを身に付けることと考えがちです。
しかし実際には、自己の悪癖を取り除くことの方が大事なのかもしれません。
何もしないこと
と館長はよくおっしゃられます。
無理無駄をなくし、本来の自然な動きを求める、ということなのでしょう。
師の教えに深く耳を傾けながら、自己の体に深く深く問い続けます。
H25.9.29