貫汪館 横浜支部稽古

お昼過ぎに雨が降って、暑さはだいぶやわらぎました。風も吹いています。

青い空に白い雲。ラピュタは本当にあったんだ!と心の中でつぶやきます。定番

 

6時ちょうどに小学校に到着すると、前の団体さんが帰るところでした。

そういえば雨が降るとグラウンドが使えず、体育館を利用されるのでした。

しまった早く来すぎたかと心配になりましたが、幸い体育館にはどなたもおらず。

もう片付けをされたのか、それともそもそもグラウンドが使用できたのか。

 

扉を開けて、熱気を開放。ネコに挨拶します。にゃー

モップの滑りが悪いのは、湿気のせいでしょう。走ると突っ掛かって転びそうです。

扇風機は出さずに稽古開始。

正座をすると、耳元を蚊がプーンと。早々に動くことにしました。

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無双神伝英信流抜刀兵法

 

<大森流、英信流表、英信流奥>

抜き付けで右手を使い過ぎると指導を受けます。

たしかに、刀が鞘から抜けてからもまだ、右手を使って右へ切り開いています。

自覚はできるようになりました。

館長の指導は言葉は平易ですが、その意味するところを理解することがまず難しい。

そもそもまったく自覚ができない。え、そこ!?なに、どゆこと?みたいな感じです。

稽古を重ねるうちに、ようやくこれかと自覚実感ができるようになります。

そしてそれを修正できるようになるには、さらにまたしばらくかかるのです。

そけい部を弛める、足の裏に重心を感じる、背中を弛める、etcetc...

言葉は一回で聞きとれますし、覚えることもできます。

でもそれを理解して実践するのは、容易なことではありません。

まず意識を変え、自覚できるようになり、試行錯誤して、ようやくなんとか。

それでもまだまだ。深さ、高みには限界はありません。求める限り。

稽古の場だけでなく、日常生活における意識のありようが大事かと思います。

業の手順を覚えるだけでは意味がなく。

逆に体の遣い方さえできてしまえば、業はつけたしのような気さえします。

体の遣い方を学ぶために、業の手順があるような。業はただの方便。

 

大森流を順番に抜いていると、体がほぐれてくるのがよくわかります。

英信流表では前後左右に体をさばき、奥ではさらに多敵応用。

一気に抜きますが、同じ動作を繰り返したりしないので体に負担はかかりません。

 

<太刀打、詰合>

横浜でデンさんとは、太刀打詰合の稽古からしていました。

まだ始めたばかりだからと思って、打太刀は気合も入れずにのんびりテキトーに。

なのにデンさんの必死の形相ったらなかったです。思わず笑っちゃうくらい。あは

そんなにムキにならなくても~と言うのですが、当の本人は必死のようで。

いま思うと、私のノンビリはかなり早かったのでしょうね。

のんびりを通り越して、スローモーションかよ!と思うくらいでちょうどよかった。

眠くてあくびが出そうです。とよく冗談めかして言っていました。

無理無駄がなく止まらずに動けば、間が詰まって、速くなくても早いものです。

竹刀での防具稽古はまた違うかもしれませんが。

居合刀で、ゆっくりのんびり動きました。

 

<大小詰、大小立詰>

相手がいませんから一人で動きます。でもへっちゃらです。

大森流も英信流も一人で動きますし、太刀打詰合も一人で稽古しています。

でも十分、稽古になっているのを感じます。

ただときには相手をつけて、稽古が合っているかどうかの確認をしたいものです。

受けを、自分のダメな動きに口頭で注意してくれる指導者としてとらえるか。

練習のパートナーと考えるか。あるいは試金石と考えるのか。

自分の動きの質を上げるためだけであれば相手は必要ないのかもしれません。

相手をつけて稽古すべきことは、他にもっと重要なことがあるような気がします。

 

ポカリを一口飲んで、ちょっと一息。またすぐに稽古開始。

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大石神影流剱術

 

<構え、素振り、試合口、陽之表、陽之裏、三學圓之太刀>

最初は覚えるのに苦労していた手数も、今では忘れることもありません。

動きも自動化されてしまったようです。

ただ今度は逆に、ダメな動きをしていないかの確認が難しい。無意識だから。

つい惰性に流れてしまいがちです。

意識して、一つ一つの動作をチェックします。体の各部位、呼吸など。

こういうとき、相手がいてあれこれと指摘してくれるといいなとは思います。

ただそれは甘えで、一人でも十分稽古はできるのかと思います。

 

小太刀を帯びて稽古してみました。柄頭や鍔がちょっと邪魔になったりします。

納刀はまったく邪魔にはなりません。形どおりにできます。

 

居合の斬撃と、剣術の斬撃。その違いについて、少し考えてみました。

いや、そもそも違いなんてあるのか?ってことなんですが。

いつも木刀で稽古していることを居合刀で稽古するだけでも、いろいろと気付きは

あるものです。脳っておもしろいですよね。

 

<鞘之内、二刀、小太刀>

本来の体系の順番とは違うのですが、稽古の都合上、この順番で。

いったん納刀して、鞘ノ内。

大刀小刀と抜いて二刀。

また納刀して、小太刀。

家ではいつも小太刀を先に稽古しているので、先に二刀だとちょっと混乱します。

まだきちんと身についていないということでしょうか。

全体でも部分でも、いつでもどこでも自由に取り出せないといけない。

さらには変化応用も、臨機応変に。新しい業、組み合わせ。自由自在に。

 

<鎗合、棒合、長刀合>

これも順番が違います。

先に剣の手数の鎗合をやって、それから六尺棒を持って、最後に長刀。

 

長刀は六尺棒で代用。

本部でも長刀を六尺棒で稽古しながら、なんか違和感があるなあ。なんて言って。

雰囲気が出ないし、わかりにくい。先にマークでもつけようか、とも。

最初は手数を覚えるのに、刃と石突きの区別がつかないからやりにくいのかと。

でも手数を覚えてからでも、やはりやりにくい。その理由がわかりました。

刃部に重さがないからです。

大石神影流の長刀合には、まっすぐ振りかぶってまっすぐ下ろす動作がありません。

下から斬り上げて、それから止まらずに下ろす。後ろから円を描いて振り下ろす。

いずれにしろ、刃部の重さを使うことができます。他の動作もそうです。

初めて持ったときに重くて使いにくいと思った重さは、実はとても有用なのです。

六尺棒は前も後ろも均質ですから、重さに片寄りはなく。長刀とは違います。

長刀には長刀の遣い方、六尺棒には六尺棒の遣い方がある。当たり前ですね。

そんなことを実感しながら、長刀合だけ何回か繰り返しました。

体は違和感として違いをすぐにとらえていたのに、頭は言語化に時間がかかりました。

自分の頭の悪さに、やれやれだなー。という感じです。

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渋川一流(武器術)

抜刀術、半棒表裏、棒廻し、六尺棒表

 

最後にさらっと通しました。

棒廻しは最初に稽古したかったのですが、順番を考えて最後に。

棒が勝手にくるくると廻ります。居合と剣術の稽古で体がほぐれていたのでしょう。

 

六尺棒を稽古しながら、うんうん長刀とは違うよね。とひとりごちます。

半棒は半棒の動きです。さらには三尺棒や小棒も。

道具の長さが違うと違うのは、リーチだけではありません。おもしろいですね。

 

鎖鎌は稽古なし。

履形などもいくつか習っていますので、稽古をしたいところではありますが。。。

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2時間ほどで一通り稽古終了。

途中、何度かポカリを飲みましたが、半分以上残りました。

飲み始めるときりがないし、飲まなければ飲まないで動けるものです。

もっとも、稽古中ずっと塩飴を口に含んでいましたが。

マラソンが苦手な私でも、飴を舐めながらだとけっこう楽に走れたりします。

 

 

デンさんは夏の帰省で3週間、丁抹へ。夜半レアの元でダイレクト三昧でしょう。ディヴァインのことも忘れないでほしいものです。

 

来週と再来週は、横浜支部の稽古なしです。

9月第一週は通常通り稽古、第二週は横浜講習会、第三週は本部で昇段審査、の予定です。

 

H26.8.17