貫汪館 横浜支部稽古

木枯らし1号も吹いて、一気に真冬の寒さとなりました。
急激な冷え込みに体調を崩す人も多く、職場ではマスクをしてセキをしている人が多数。風邪、気管支炎、ぜんそくと大変なことです。

 

街路樹はすっかり葉を落として、道の隅には黄色い落ち葉が風に吹き集められています。
落葉樹は、陽射しの暑い夏には若葉が生い茂って陰となり、日差しの弱い冬には葉が落ちて少しでも陽があたるようにしてくれます。

人間の都合で車が多く通る道に沿って植えられて、排気ガスを毎日吸わされ、しかも十分に根を張るだけの地面も与えてもらえず、なんだかかわいそうです。

 

常緑樹である松は、防風林や防砂林としてよく海辺に植えられます。
生命力が強く、劣悪な環境にも耐えられるからという理由もあるようです。
曲がった松を見ると、毎日、強い風に吹かれたせいだろうかと心配になってしまいます。
海辺でなくても、盆栽の松は針金で矯められてぐにゃぐにゃと曲げられてしまいます。
曲がった姿が好まれるのはなぜなのでしょうか。

力強さ、生命力のあらわれとして、美しさを感じるのでしょうか。
まっすぐとか幾何学模様が好みの私としては、理解できない部分のひとつです。

 

自然界の山や川は直線ではありませんが、もちろんそれには理由があり、合理的です。
生物の血管や神経、都市のライフラインが直線では、あまり機能的ではないでしょう。
直線は合理的なのではなく、単にわかりやすいというだけのことなのかもしれません。
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稽古に参加者がありました。
高校で剛柔流空手、大学は合気道(合気会)で徒手と剣と杖と居合を稽古し、就職してからは仕事で必要で講道館の柔道を一ヶ月で初段まで取得。
今でも走り込みをしているとか。
遠く東京からの参加で、渋滞のせいで到着が少し遅れました。
合気道の道衣に袴で、足袋はなし。

 

持参した模擬刀は初任給で購入したとのこと。高価なものではなく逆に好感がもてます。
最初から道具に凝る人は、形にこだわり、逆にあまり続かないような気がします。

無双神伝英信流では、長い居合刀を遣います。ただまったくの最初から長い刀は難しい。
最初は短い刀で慣れて、それから長い刀に買い替えるというのも手かと思います。
そのためにも、最初は安価なもので十分かと思います。
もしくは最初は鞘木刀で稽古して、それから居合刀の購入でもいいかもしれません。
鞘木刀は居合刀に比して安価ですし、取り扱いも容易です。
それに太刀打などでも遣いますから、決して無駄にはなりません。
居合刀は安価なものでも数万円はしますが、鞘木刀なら数千円で購入ができます。

 

礼法から。
まずは下げ緒の持ち方で手間取ります。あちこちとこんがらがって、大変なことです。
木刀だと、こういうことはありません。つくづく居合のハードルの高さを感じます。
さらに、正面へ礼をするのに、刀を持ち替えるのでも手こずります。
どんな物体でもXYZの三軸しかないのだからよく見ていれば大したことないだろうと思うのは、長年慣れ親しんだ側の理屈でしょうか。
なんとか持ち替えて、正面に礼をします。
きちんと立つことができて、きちんと礼ができればそれだけで大したものですが、なかなかそうは行きません。

 

続いて着座。

無双神伝英信流の袴さばきは、独特です。

古武道では一般的かもしれませんが、現代武道では見たことがありません。

最初は違和感を覚えますが、慣れるとたしかになるほどと思う理があります。

まっすぐ静かに着座することが、なかなかできません。
一度立ち上がり、蹲踞の姿勢となって、また立ち上がることを繰り返します。
水平垂直を維持、速度を均一に、ぐらぐらしない、目線はまっすぐ前、
立ち上がっても膝は伸ばしきらずに弛めたまま、などなど
しばらく繰り返しました。
その甲斐あってか、だいぶよくなりました。
ただ、正座から一歩踏み出してまっすぐ立ち上がるのはなかなか難しいようです。
途切れずに同じ速度で、という要求はなかなか満たせません。
できていないということはわかるようなので、稽古をしていればいずれできるようになるかと思います。

 

刀礼をして、帯刀、結束。
こういった所作にも動作の質があらわれます。
そして、立ち、座りといった動作よりも、誤魔化しが利かない部分かもしれません。

 

座姿勢。
制服と制帽がとても似合いそうな座り方です。とってもきっちりとしています。
肩を弛め、胸を弛め、肘を弛め、指先を弛め、重心を肚に落とします。
力を抜くと言うと、腹がへこんだへたれた座り方になりがちです。
でもそうではなくて、と説明します。
最初はなかなか通じませんでしたが、間もなく理解ができたようです。
ただ、言うと直りますが、またすぐに戻ってしまいます。
繰り返しているうちに、かなりよくなりました。
素質があります。

 

立ち上がって歩きます。
右足を半歩出した半身が基本。正対しない。
足で蹴って進むのではなく、重心の移動で動く。
前後左右にぐらぐらしない。同じ速度で。
感受性は鋭く、指摘をするとすぐに理解をします。でも直すのはそう簡単ではなく。
しばらく繰り返します。
刀を抜いて構えると体と刀が別々になっています。それもすぐに理解されました。
みるみるよくなりました。

 

足首が固いと難しいですか、と聞かれました。
普通に歩くことができれば大丈夫、とお答えしました。
足の裏を床にべったりと付けたまま膝を床に付けるような柔軟性は必要ない。
動きの柔らかさと、柔軟性は関係がありません。
柔らかい動きというものは、なめらかな連続した動きのことです。と説明しました。
頭では納得できても、心から納得できたかは不明です。
体が固い人は、できないことがあると、体が固いせいにする傾向があるように感じます。
言い訳を探したくなるのは人の常です。
ただ、言い訳をしている間は上達はできません。それがたとえ無意識のものであっても。
なんのために、誰に言い訳をするのでしょうか。
できなくてもいい、と誰かに言ってほしいのでしょうか。
私は、できるようになりたいです。

 

歩く稽古だけで終わっても不満はなさそうでしたが、せっかくなので業も少し。

 

初発刀。
大森流は陰陽進退まで稽古をしたと。

ただし、無双神伝英信流抜刀兵法ではありません。
所作の違いをあらためる形で稽古を進めます。
力みが目立ちます。鞘も柄も力強く握り締めてしまいます。動作もことごとく強い。
それでも、繰り返し指摘して、動作を繰り返しているうちにだいぶよくなりました。
一緒に抜いて、一人で抜いてもらって、抜くのを見てもらって。

 

せっかく遠方から来たのですから、もう少し体験をしてもらうことにしました。

居合刀を置いて、鞘木刀に持ち替え。
木刀は所有しているけれども、今日は持参しなかったとのこと。
常寸をお貸しして、自分は大石神影流の鞘木刀を遣います。

最初は、ずれて向かい合って、一緒に真似をしてもらいました。
虎乱刀のように抜き付けて斬り、横に開いて納刀。
言葉による説明はしなくても、見て真似をしてくれます。それで十分です。
向かい合って、下に抜き合わせ、打ち込んで受ける。下がって開いて納刀。
太刀打の出合です。

 

歩法では半身となり、初発刀では力まずに動けるようになっていましたが、やはり相手がいると違うようです。正対して、腕の力で打ち込んできます。
自分もこうだったなーと思い出しました。

やはり以前の経験が邪魔をして、真っ白な状態というわけには行かないようです。
こういった点では、やはりまったくの素人の方が覚えはいいのかもしれません。
ただ素人の方でも、時代劇のようなイメージがあると同様に稽古の邪魔になるようです。
なかなか難しいものです。

 

木刀を頭の上に構えて、左手を峰に添えて、打ち込みを受けてもらいます。
最初は力いっぱい打ち込みます。木刀と木刀がガツンとぶつかります。大きな衝撃です。
続いて、力を入れず打ち込みます。先ほどとは違う衝撃を感じてくれたようです。
不思議そうな顔をしています。
あきらかに力を入れていないように見える打ち込みの方が衝撃が大きいのですから、それも当然のことと思います。
実体験さえあれば、たとえ今すぐにはできなくても、いずれは体得できることでしょう。

 

とくに説明はせず、片膝立ちで向かい合って詰めて座ります。
同じように下で抜き合わせ、打ち込んでもらって受けます。

立ち上がって開いて納刀。
詰合の発早です。

 

少し手こずりました。立膝が難しいようです。そこから動くことができません。
離れて、一人で座ってもらいました。
左足を引いて抜き付けるだけです。と説明しますが、どうしてなかなか。
足首が痛いとのこと。不慣れなせいでしょう。足首の固さは関係ないと思います。
かくいう私も、初めて教わったときには、とてもできる体勢ではないと思いました。
いきなりできるものではありませんから、座る練習をするしかありません。
指先を真横に向ける。お尻は踵の上ではなく、土踏まずの内側に置く。

と説明しました。
言葉による形の説明は決してよいことではありませんが、一人で稽古するときの指針としてはとてもわかりやすく明確で、覚えやすくて便利なことと思います。
ただし、初心の間だけですが。

 

もう少しがんばってもらいます。
同じく立ち膝で向かい合って座り、柄を両手で床に押さえ付けてもらいます。
両肘を抱えて浮かし、左へ転がします。
大小詰の抱詰です。

 

合気道の有段者だけあって、受け身はお手のものです。
体育館の固い床の上ですが、問題なく転がります。力任せに抵抗することもありません。
交代して、やってもらいます。すごい力だねえ、と言うと意味がわかったようです。
もちろん、決してほめたわけではありません。
かと言って、力を入れなければ何もできないといった様子です。
というより、まずは立膝の座り方がきついようです。ここまでにしました。

 

最後にもう一度、一緒に初発刀を抜いて終わりにしました。
あっという間の2時間弱でした。
仕事の休みは不定期で、毎週通うのが難しいとのこと。とても残念です。
またのお越しをお待ちしております。

 

今回、自分の稽古はまったくできませんでした。
でもそれは、とても短絡的な表現です。
直截的なものだけが、合理的なことではありません。これも稽古です。
それになんと言っても、おもしろかったからよいのです。

 

ちなみに、バカボンはサンスクリット語の「薄伽梵(バギャボン)」が元で、その意味は「覚れる者」「煩悩を超越した徳のある人」「仏様」「如来」「天才」のことだそうです(あくまでネット情報です)。

これでいいのだ

H25.11.19