貫汪館 横浜支部稽古

さてまたいつもどおり天気の話題から。
この一週間ですっかり涼しくなりました。
日中はまだ暖かい日もありますが、行き帰りは上着を着て通勤しています。
家での毎日の稽古もしやすくなりました。

 

夏の間は本身は遣っていませんでしたが、10月になってまた遣うようにしました。
ですがまだ少し早かったようで、棟のはばき近くに気になるところができてしまいました。よく見ると、差し表の物打ちのあたりにも小さな点が一つぽちっと。
朽ち込んでからでは大変ですし、出雲大社の奉納演武もありますので、手入れを依頼することにしました。
いつもお世話になっている研ぎ師の先生に連絡をすると、いつでも大丈夫ですと。
刀をかついで登録証を持って、電車を乗り継いで約2時間。
お土産に崎陽軒のシウマイ(シュウマイではありません)をお渡して、見てもらいました。
やはり錆とのこと。さっそく落としてもらいます。
錆は簡単に取れましたが、色合わせに少し時間がかかりました。
物打ちの小さな点もやはり錆でした。
油を拭った状態で唾が飛んで、きちんと手入れをしないでおくとこうなるとか。
心当たりはないのですが、以降、気を付けようと思いました。
こちらは小さな点なので簡単に取れるかと思ったらそんなこともなく。
こすっても動かないとのことで、しばらく石を当ててくださいました。

で、また色合わせ。
ついでに、あちらこちらの鞘当たりやヒケ傷も。
状態に合わせてあちらこちらからいろいろな道具が出てきます。

まるで魔法使いのよう。
独り言をつぶやいたり、こちらに一言二言説明したりしてくれながら、単調な作業を繰り返します。

やっている方は楽しいからいいけれど、見ている方は退屈で眠くなるでしょうと。
もちろんそんなことはなく、ずっと見ていても飽きません。
気付くと約3時間が経っていました。
一流の職人で妥協できない性質の方ですから、やっつけ仕事にならないのはわかっていました。

仕事が終わったら食事をと思っていたのですが、すっかり遅いランチになってしまいました。

のんびり食事をしながらお話をして、また2時間かけて帰宅しました。
稽古に備えて軽く一眠りします。

 

居合刀、鞘木刀、長い鞘木刀、六尺棒、半棒を持って家を出ます。
外は雨粒がぱらぱらと。家に戻って六尺棒と半棒を置いて、傘を持ちます。
普段なら傘はささない程度の降りですが、刀が濡れては困ります。
現代版の蓑笠って傘とレインコートのことだよなと思いましたが、
胸のボタンを押すとぶーんと鳴って体の周囲の雨粒がはじかれるみたいな。
それは未来版か。2010年ってすごい未来なイメージがありましたが、
もうすでに過去のことと気付いて少しびっくりしました。

 

体育館に到着して、着替えて、刀を出して、木刀に鍔をつけます。
立ち上がるとすでに自然に腰は落ちていますが、十分ではありません。

 

正座して黙想。
リラックスして、深い呼吸を繰り返します。

周囲の床から吸い上げて、また床に戻す。
意識しないでも自然にそうなっているときと、意識してもできないときがあります。
脳波を測定したり、筋電図を取れば違いがわかるのかもしれません。
でもどうすればそうなるのかがわからなければ意味がない。
けっきょくは、自分で自分の心と体を観察するしかありません。
雨の音も風の音も聞こえません。ただ照明のジジジという音だけが聞こえます。
虫の声が聞こえないのはなぜでしょうか。

 

立ち上がるとそけい部はゆるみ、腰は自然に落ちています。
右足を半歩踏み出し、半身となって、前に歩きます。
端まで進んで戻っても、腰の高さは変わりません。
左右へのブレも少し減ったような気がします。膝の柔らかさがポイントでしょうか。
自転車をこぐような、回転するような動き。前方下方へ落ち続けるような感じ。
でも腰の高さは水平のまま。
あまりきちんとていねいに動こうとすると、逆に緊張につながってしまいます。
楽に楽に動きます。
きりがないのでこれで終わりにしようと思って戻って、やっぱりもう一往復だけ。
でも気付くとさらに三往復くらいしてしまっています。

 

刀礼をして、帯刀。刀が腰にあると、とても落ち着きます。
立ち上がり、また進退を繰り返します。腰は自然に落ちてよい感じです。

左手は鍔に軽く掛けます。

右手の位置だけでも歩き方は変わるような気がします。

 

抜き出して前方に自然に下ろします。

構えない。握らない。ただ静かに下ろすだけ。
そのまままた前進後退。

刀が体の外にならないよう、肚とつながるよう意識します。
物として扱うのではなく、自分の体の一部として。切っ先まで神経を通す。
重いからと握って固定しようとすると、刀の重さが一気に腕にのしかかります。
左手は下から支えようとせず逆に上から押すようにすると左手の重さはなくなりますが、右手の負担が増えてしまう。

これはこれでありかもしれませんが、なにか違う。
手のひら全体で柄を優しく包み込むようにすると、なぜか刀の重さは消えてしまいます。
館長がよく手を取って教えてくださる、柔術の手の内と同じです。
どこにもぶつからない。どこか一点ではなく全体で包み込む。
柔らかいが弱くはない。抵抗することのできない不思議な力です。

 

大森流、英信流表、英信流奥。
家では毎日稽古していますが、立つ業は難しい。でも、体育館では場所の制限はありません。

一気に抜きます。涼しいので稽古がしやすいです。

 

刀を置いて、鞘木刀を持ちます。
太刀打、詰合。打太刀と仕太刀を交互に。
木刀の短さは気にならず、重さは軽いというよりも重さそのものを感じず。
それよりも、構えたときの刀身の厚さがとても気になりました。
いつも同じものを見ているはずなのに、そのときどきで感じることが違います。
いつもは雑多な情報をスルーしているのに、なにかのきっかけでそれがとても気になるようになる。

今日は刀を研いでいる3時間ずっと刀身を見ていたからかもしれません。
動きには影響なし。手先で振らず、肚から動きます。
軽く短い刀になると腕力で振ってしまうのは、軽く短い刀の威力に不安を感じて、無意識にそれを腕力で補おうとしてしまっているのかもしれません。
刀は触れれば斬れるものです。打とう叩こうとせず、ただするすると動きます。

 

鞘木刀を置いて、長い鞘木刀に持ち替えます。
大石神影流の試合口、陽之表、陽之裏の打太刀と仕太刀を一気に。

さらに鞘ノ内も。
そけい部のゆるみ、膝の回転、肚から動く。肩で振らない。無理無駄がないこと。

 

棒がないので今回はここまで。

 大森流、英信流表、英信流奥、太刀打、詰合、試合口、

 陽之表、陽之裏、鞘ノ内
打太刀と仕太刀もあるので、百数十本を通しています。やり直しなし。一本ずつ。今回は水分補給も休憩もなしでしたが、それでも2時間弱はかかってしまいます。
やりたいことはまだまだあって、棒廻し、半棒表裏、澁川一流の抜刀術、鎖鎌、大石神影流の二刀、小太刀、天狗抄も稽古しなければなりません。
毎日の家での稽古と合わせて、時間配分を工夫する必要がありそうです。

 

体育館を出ると、雨は降っていませんでした。虫の声が小さく聞こえました。
そういえば稽古の途中からは虫の声が聞こえていました。
最初に聞こえなかったのは雨が降っていたからで、雨がやんだから鳴き始めたのでしょう。
目があっても見えず 耳があっても聞こえず。
やれやれこれでは、

目の前のまつ毛の秘事や、寒き夜の霜の音には程遠いなあ。

と反省しました。

H25.10.20